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SPパロディ小説(再掲)3月9日 [ドラマ「SP」パロディ小説関連]

一昨年、昨年、…の今日も、下記の通り同じようなこと書いてて、ものすごい恐縮ですが、今年も、新作の更新ができなかった<死

やっぱり、決算がすむまで、無理そうです(号泣)
というわけで、成瀬の大好きな「3月9日」を、今年も再掲させていただきますが、それだけだと、大変申し訳ないので、週末には、西島さんつながりで(は?)PASS付スペース内の、”西島さん、天国に召されるの巻”←酷すぎる、キャッチコピーを、ここで公開したいと思っております。
もう、3月9日は、去年みちゃったやい!って皆様、週末まで、お待ちくださいませ。
そして、PASS付スペースに、すでにお越しの皆様、新作ないぢゃん。。。の怒りの声、成瀬の心に、とくと留め置いておりますので、長い目で待ってやってくださいませ

本当は、新作を更新したかったのですが、時間がなかったので、SPパロディ小説部屋のPASS付スペースに展示しております、「3月9日」を、この日を記念して(は?)ここで、一般公開させていただきます~。
ええ、成瀬の勝手な、盛り上がりっつーか、3月9日記念なんで、お気になさらずに。
すでに既読のみなさまは、ごめんなさい。

PASS請求なんて、めんどくせーって思われてた方、よければ、こんな感じの作品がごろごろ並んでるページなんで、いつでもお越しください。

☆この記事を読まれる前に、まずはこのすぐ下のエントリにあります、パロディ小説をお読みいただくに当たっての注意書きか、サイドバーにあります注意書きかのいずれかを、必ずお読みいただいてから、それをご了承いただいた上で、お読みいただけますようお願いいたします。

下記小説は、ドラマ好きな、SPの一ファンである成瀬美穂の、作品をするが故の、空想の産物です。
よって、実在する作品、人物等に、一切関係はございません。
上記に関し、警告がきた場合には、即刻当該ページを削除する用意がありますので、実在する作品を害する意図は、一切ないことを、併せて明記させていただきます。

========注意書きをお読みいただけましたか?
ありがとうございます。
では、どうぞ。。。

スタート。


  『 3月9日 』




 

「卒業おめでとう、井上」
「ありがとうございます、尾形さん」


カチンと、グラスの重なりあう澄んだ音に混じって、二人の声が、その室内の落ち着いた雰囲気になじむように、落とされた。

 

 

警察学校の卒業式は、卒業後、制服警官に納まるものも、そうでないものも皆、制服を着用して、式に出席する。

なので、当然のごとく、その警察学校の卒業式に出席する側の立場で、警察官の制服に、数時間前まで身を包んでいたはずの井上は、本来、警察学校に入寮中の身であるならば、外出時は、スーツ着用が義務ずけられてはいたが。
いかんせん、卒業さえしてしまえば、そんな面倒な着替えをすることすら億劫に感じていた、服装に無頓着な井上は。
警察学校を卒業して行った者たちからは、”刑務所”と揶揄られるほど、起床から就寝時間に到るまで。
時間的拘束が厳しい毎日と、日曜日でさえ、前もって外泊先を届け出なければどこへもいけない、窮屈な全寮生活から解放された記念とばかりに羽目を外しがちな、卒業式後の打ち上げに参加するでもなく。
その、濃紺の飾り気もない、制服姿の格好のまま、全寮制だった警察学校から、大した荷物も持たずに、そこを後にしようとしていたところを。
そんな井上の、あまりにそっけない行動を、あらかじめわかっていたかのように。

警察学校を出て、駅に向かう道の途中を、制服姿のまま、一人とぼとぼと歩いていた井上は、式後にそこを通るであろうと勝手に予想され、人通りの少ない道路に停車させた車体に凭れて、そんな井上を待っていた尾形に捕まって。
卒業祝いだからと、食事に誘われ、今に至っていた。

 

午前中に行われた、警察学校の卒業式を終え。
ある程度の荷物をかたしてから出てきた井上を、食事に誘うつもりで尾形は待っていたのだから。

ランチタイムを大幅に回った時間であるがゆえに、尾形の車で連れられて入った店は、ランチタイムから普通にコースメニューを出すような雰囲気の店内ではあったが、やはりかなり空席が目立っており、どこに座っても問題ないような状況であったにもかかわらず。

尾形は、井上が同期の友人達と、打ち上げに行ってしまう可能性など、露ほども考えていなかったらしく。

…実際のところ、その尾形の予想通りになったのだが。

最初から、約束もしていない相手との食事を、店に予約を入れていて、個室を用意させてしまっていたのだから。
店に入って、尾形が名を名乗るなり、すんなりと、
「二名様でご予約いただいておりました、尾形様ですね。
お待ちいたしておりました」
と言って。
テーブルセッティングも終え、その上に、奇麗に磨かれて、室内の落とされたライトで、金色に光る”リザーブ”の札がおかれた個室へ通されてしまった井上は、ギャルソンに引かれた椅子に座ってからも、居心地悪そうに、きょろきょろと、尾形と二人しか居ない室内を落ち着きなく見回していて。

そんな姿を、尾形に軽く笑われながら、食前酒を注ぎに来たソムリエに、小さく頭を下げて、鷹揚とグラスを掲げる尾形に倣う様に、控えめにグラスを持ったところで、その言葉がかけられ、先ほどより深々と、テーブルにおでこをぶつけるんじゃないかと、尾形に内心心配させるほど。
目の前の席に座る尾形に、しっかりと頭を下げてから、細いシャンパングラスに感じよく注がれた、気泡の弾けるそれに、口をつけた。


「ものすごく、おいしいです」


一口、それを口に含んでから、自分が手にしたそのグラスを、不思議そうに眺め。
それから、もう一口それを飲み干した井上は、そんな行動をとる彼を、わずかに頬を緩めて見ていた尾形に向かって視線を上げると、嬉しそうにそういった。

言われた尾形は、満足そうに笑って答えた。

「それは、よかった。
好き嫌いは、なさそうな気はしていたが、それがイコール、酒の趣味にも反映されるとは、限らないからな」
「寮の食堂を経験していれば、なんだって食べられますよ。
逆に、あの味に慣れた舌に、いきなりこんな高級なアルコールじゃ、ギャップがありすぎて、刺激が強すぎるくらいです」
「なるほどな。
そんなに言うほど高いものでもないが、寮の食堂と比べればな」
「…すみません、比較対象が貧困で」
「いや。
国の金で食べさせてもらっておきながら、文句を言うのもなんだが、警察学校の寮は、もう少し、食堂に予算を配分すべきだと、俺も常々思っていたよ」

そんな尾形の話しを聞きながら、そっとグラスをテーブルに戻し、小さく肩を揺らせて、井上は笑い、頷き返した。

「でも、本当に、今日はありがとうございます。
っていうか、今日俺、尾形さんからお誘いなんて、受けてなかったですよね? 」

居ずまいをただし、自分の膝の上に両手を戻した井上は、尾形を伺うように上目遣いで、そう尋ねてきたので、同じようにグラスをテーブルに置いた尾形は、なぜそんなことを? といった目で、井上の言葉を促した。

「いや、他のことならまだしも。
俺が、尾形さんからの貴重なお誘いを忘れるなんてことは、ありえないと思うんですけど。
けど俺、時々、自分でもびっくりするくらい、すこーんと記憶が抜け落ちているって言うか、後で冷静になって考えてみても、自分がなにやってたのか、いまいち思い出せないときが、確実にあるんで。
まあ、それはただ単に、ぼーっとしてるときがあるんで、そのときなんだと思うんで、いくらなんでもそれはないとは思うんですが。
今回も、もしかして俺、尾形さんとちゃんと前もって約束してたのを、すっかり忘れちゃってたら、失礼極まりないなって、思ったもんですから…」


多くのSPと共に、警護課に席を置く尾形にしてみれば。
きっちりと清潔なクロスがかけられたテーブルを挟んで、自分の目の前にちょこんと座る、今朝、警察学校を卒業してきたばかりの青年が、日をおかずして、自分と同じSPとなることはわかっているのだが。
それでも、元々、自分の周りにいるような、ガタイのいい人間たちとは、正反対の、……明らかに、SP向きとは言いがたい、その内側は、それなりにしっかり鍛えられては居るものの、見た目がやけに華奢な体型の井上は、若者にありがちな大人の男になりきっていない線の細さ以上に、薄い肩をちぢ込ませて、上目使いにそう聞いてくる姿に苦笑し、答えを返してやった。


「なんでそう思うんだ? 」
「いえ、ホントいうと、確かに警察学校の寮から、歩いて駅に向かうには、あの一本道しかないんですけど、だからといって、俺があそこを通るかどうかなんて、わかってなかったはずですし、時間だって、わかってなかったはずですよね?
なのに、あまりに普通に尾形さんが、あそこで俺を待ってて下さってた、……っていうか、俺を待っててくれてたんっすよね? 」
「さっきもそう言っただろ?
井上の卒業式が終わるのを、待っていたって」
「はぁ、…それは聞きましたけど、でも…」
「でも、なんだ? 」
「でも、もし俺が、同期の皆と一緒に打ち上げに行ってたら、皆タクシーに分乗していくって言ってたんで、…そしたら俺、あそこ通らなかったはずですし」


すらすらと話しの進む尾形と違って、首を傾げるようにして言葉をつむぐ井上は、テーブルに並べられたフォークの柄の部分を、指先で手持ち無沙汰につつきながら、重い口を動かした。


「もし仮に、俺が打ち上げに行かなかったからといって。
あんまり酒の飲めない、打ち上げ不参加組みは、寮の食堂で昼食とりながら、ダラダラ話とかしてたみたいなんで。
実際、そのまままっすぐ帰るつもりで、警察学校を出たのって、多分、俺が一番早かったと思うんですけど、…そんなの、俺くらいのもんで。
他の人間だったら、あそこ通るにしても、もっと時間がかかってたと思うんですよ。
したら、尾形さん、あそこでむちゃくちゃまたなきゃですし、お昼もくいっぱぐれますよね?
っていうか、尾形さんが、ここの予約を何時に入れてたのかわかんないですけど、少なくとも、俺らが来たときの店員さんの対応を見てたら、ほぼ予定の時間通りって感じでしたし。
……だったら、そんな予見不可能な状況を、あっさりと先読みしてた尾形さんは、一体、どんな魔法を使ったのかなって、…思ったんです」


尾形に対して、失礼な言い方にならないよう、気を配っているのか。
言葉の一つ一つを、考えるようにして、ゆっくりと話す井上は。
けれど、その話しの筋が、全く的外れではなく、的確な判断の上の言葉であることに、尾形はわかっていたことながらも、眉尻を下げ。
ついで、井上が最後に言った、魔法使い扱いの自分に、軽く笑いを零して、返事を返してやった。


「さすがに、魔法は使ってないけどな」
「だったら…」
「けど、井上は打ち上げに参加することなく、卒業式の終わる時間だけは知っていた俺の予想通りの時間に、さっさと出てきて、あそこを通ってくれたお陰で、俺も昼飯をくいっぱぐれずにすんだし、ここの予約だって、無駄にならずにすんだ。
俺の日ごろの行いが、そんなにいいとは自分でも思えないが、今日はそれなりに、運が良かったんだろう。
なんにしろ、俺の井上も、今無事に昼食にありつけてるわけで、結果オーライなんだから。
だったら、別に、それでいいんじゃないのか? 」
「俺が言いたいのは、結果がどうこうじゃありません。
そりゃ確かに、今のこの状況を、俺は、…尾形さんの言葉を借りるなら、”運が良かった”ってことで、…その偶然を、嬉しいと感じています。
俺のその気持は、本当です」
「なら、俺も嬉しいよ」


言われた尾形は、クスリ笑ってそれに応じたが、井上は真剣な表情を崩すことなく、言葉を続けた。


「けど尾形さんは、さっきからずっと、自分の予想が外れる可能性なんて、これっぽっちも考えてなかったって顔ですけど? 
だったら今のこの状況は、全然、偶然の産物なんかじゃないですよね?
尾形さんにとって、この状況は、ただ、その偶然を嬉しいと思ってる俺と違って、必然だったはずです」
「必然、…ねぇ」
「別に俺、尾形さんになんか仕組まれた気がするからどうこうなんて思ってないですし。
仮にそうだったとしても、それはそれで、尾形さんがそれを必要だと思ったらそうしただけのことだと思うんで、俺は全然かまわないんですけど。
でも俺は、尾形さんがそんなことをする、その理由が知りたいだけなんです」
「随分と、疑り深いんだな」


ぽつりと返された尾形の台詞に、弾かれたように顔を上げた井上は、はっと息を呑む位の勢いで、今までの台詞を否定するかのごくと首をぶんぶんと横に振ると、後悔先に立たずといった表情で、口を開いた。


「……すみません。
なんか俺、結構失礼なこと、平気で言ってますよね? 」
「いや…」
「ホント、すみません。
せっかく尾形さんが、食事に誘ってくださってるのに。
…尾形さんだって、俺なんか相手にしてるほど、暇じゃないはずなのに。
なのに…」
「今日は、元々非番だ」
「それこそ、貴重な休みです。
今の、忘れてください。
尾形さんが、ただの偶然だって言うなら、それでいいです。
……なんかまだ、俺がこの状況についていけてないっていうか。
尾形さんとこうやってるのが、なんか信じられないって言うか…。
ホント、それだけなんで、…すみません」


もじもじと、下を向きながらそういう井上に、再度苦笑いを浮かべるしかなかった尾形が、そんな井上に声をかけようとしたところで、気遣わしげに鳴らされたドアが開き、アミューズが運ばれてきたので、尾形は開きかけた口を閉ざし、押さえた口調で離される、ギャルソンのアミューズの説明に耳を傾け。
自分の真正面に置かれたそれを、ものめずらしげに、覗き込むようにしている井上をちらりと見やってから、さらりと、…けれど、丁寧なお辞儀を残して出て行ったギャルソンを見送って、尾形は井上に視線を戻すと、同じように視線を上げて尾形を見ていた井上と、かちりと視線が絡み合い、彼の方が先に口を開いた。


「あの…」
「ん? 」
「なんで、尾形さんは、俺なんかに、こんな親切にして下さるんっすか? 」
「これくらいのこと、…親切、っていう程のことでもないけどな」
「俺、尾形さん以外の人に、こんなことしてもらったこと、今まで一度だって、なかったですけど? 」
「それはひどいなぁ。
周りの人間に、文句言ってやれ。
井上は今日、警察学校を無事卒業したわけだし、それは当然、祝うべき事柄だろ? 」
「…普通にしていれば、警察学校くらい、誰でも卒業できますよ」
「誰でもは、無理だろ?
俺だって、大昔に、警察学校を卒業はしたが。
それは単なる結果であって、もしも欠点を取れば、途中でリタイアせざるえない人間だってざらにいるし。
なら俺にも、その可能性は十分にあったはずだしな」
「…東大法学部出身の尾形さんがそんなことを言っても、全然説得力ないっす」


目の前の白い器の中央で、奇麗に盛られたアミューズに、すっと音もなくフォークを入れながら、井上にもそれを促した尾形は。
食事を口にすることで、ようやく、少しは肩の力が抜けてきたのか、年相応の膨れ面を見せてそう言った井上に、
「誰情報なんだか知らないが、…井上にしては珍しく、かなりの早耳だな。
ああ、同期の田中辺りか…」
と、軽く笑いを零してから、尾形は返事を返した。


「それに、4月から井上は、警備部警護課勤務のSPになって、警護課の4係に配属される。
そうなれば、俺の直属の部下になるわけだから。
ま、一足先に、歓迎会みたいなものかな? 」
「歓迎会、…っすか? 」
「卒業祝いプラス、…だけどな」
「けど、今日突然思いついた、…とかじゃないですよね?
ここ、予約してくださってたんっすもんね」
「まあな」
「じゃあなんで、ただの卒業祝いプラス歓迎会だったなら、そういってくれなかったんですか? 」


前のめりになって話す井上とは対照的に、ナイフの腹を使って、奇麗にソースを絡めたサーモンを口に運んで皿をあけた尾形は、のらりくらりと言わんばかりの勢いで、返事を続けた。


「前もって俺が、井上の卒業祝いと歓迎会だといって食事に誘えば、井上は、他の予定があっても、絶対にそっちをキャンセルして、こっちを優先しただろ? 」
「当たり前じゃないですか! 」
「けど、井上自身も、そのうち実体験するだろうから先にいっておくが。
俺たち警護課員に、予定なんてあってなきがごとしだ。
全てのスケジュールは、俺たち警護課員を中心に回っているのではなく、警護すべき要人のスケジュールに合わせて、俺たちが動く。
つまり、緊急呼び出しがかかれば、決めていた予定なんて、あっというまに、おじゃんだ」
「そんなこと、警察組織に身をおく養父に育てられましたんで、…俺だってわかってますから。
もし仮にそうなってたとしても、俺は尾形さんに、文句なんかいいませんよ」
「だからだよ」
「……え? 」
「もし前もって約束をしていて、俺がそれを違えたとしても、井上はきっと、何も言わない。
他の人間との、あったかもしれない約束を全てキャンセルしてまで、ドタキャンされる可能性の高い俺のほうを優先しておきながら、現実に俺に緊急呼び出しが入って、この予定が流れても。
仕事なんだから、仕方ないといって、井上は、なんでもないことにしてしまう。
それが例え自分の、警察学校の卒業式を祝いものであっても」
「…だから、警察学校の卒業式くらい、たいしたことじゃないですって」


困ったようにそう答えた井上に、尾形が返事を返そうとしたところで、次の料理のアペタイザーが運ばれてきて、二人はしばし黙った。

コトンと、テーブルに置かれた料理を、井上は、心ここにあらずな様子で眺めながら、次に何を言うべきか、いや、尾形が何を言ってくるのか、それを、考え込むような顔をしていて。
この状況で、こんな話をしていたのでは、せっかくの料理がもったいなかったかなと、尾形はふと、そんなことを自身の心うちで考えていた。


「大体、警察学校を卒業したくらい。
こんな高級そうな店で、昼からフルコースの料理を食べて、個室まで予約されるようなほどのことじゃないじゃないですか」


アミューズの皿を下げながら、閉じられた扉を見やってから、おもむろに口を開いた井上は、矢継ぎ早にそう言った。


「そんなことはない」
「……尾形さん? 」
「他の人間はどうだろうとも。
井上にとって、警察学校を卒業して、SPになることは、…たいしたことだよ」
「…なんでそんな……」
「井上は別に、安定性のある、国家公務員になりたかったわけでも。
正義の味方の警察官に憧れて、それになりたかったわけでもないだろ?
……ただ、SPになりたかった。
それ以外の選択肢は、元から井上の中にはなかった。
他のものじゃだめだから、SPになる為に、自分を磨いて、今まで生きてきたはずだ。
なら、今のこの瞬間が、大したことないなんて、決していえない。
ここに辿りつく為に、井上は生きてきたはずだからだ」
「…大げさですよ」
「本当に? 」


次の料理にナイフを差し入れながら、こともなげにそう言った尾形を見ていた井上は、小さく息を吐き方をお年気味に、大人しく尾形と同じように、料理を口に運び、わざと答えを返さなかった。
そんな井上の、多少子供っぽい対応に、唇の端を上げて見せた尾形は、放射状に並べられた鴨のローストを口に運んでから、話しの続きをした。

「それに、個室でも取っていないと、どうせ制服姿のまま帰ってくるだろう井上と、店で食事なんて、落ち着いては出来ないだろう? 
時間が遅めで、客足が少ないとはいえ、入ってくる他のお客様にも、だからといって断るわけにも行かない店側にも、…制服警官の若者と、ダークスーツの顰め面しいいい年した男が、テーブルを挟んで食事をしていたら、一体何事かと、迷惑がかかるだろう? 」
「…だったら、最初からそういって下さってたら、俺だって、もっとちゃんと…」
「ちゃんと、スーツに着替えて出てきた? 」
「それもありますけど…」
「ちゃんと、普段の自分を演じられるように、気合を入れてきた? 」
「……は? 」
「せっかく、警察学校を卒業した晴れの日なのに。
仲間と打ち上げにも行かず、寮で他の仲間と別れを惜しむでもなく。
とても、卒業式を終えたばかりの前途有望な若者とは思えないくらい、晴れ晴れとした様子じゃなく。
とぼとぼと、…自分が向かうであろう、先の行く末を予見しているかのように、暗い表情で、一人歩いて、警察学校を離れていく姿なんて。
俺が来るとわかっていれば。
不用意に、そんな自分の姿を、俺に見せたりはしなかった? 」
「……尾形さん」


始めのうちは、罰の悪そうに答えてたはずの井上は、淡々とそういう尾形を、眉間に皺を寄せて見つめ、まるで言われていたことが、そのとおりだといわんばかりに、唇を噛んだ。


「否定しないってことは、当たりか…」
「警察学校を卒業して、尾形さんの下でSPになれることが、嬉しくないわけではありませんから」
「けど、井上にとって、卒業はゴールじゃない。
その先の道を、お前の立場で、不安に思わないわけはないのは、当然だ」


皿の上をあらかた片した尾形が、するりとそう言った台詞を、宙に浮かせた視線で、暫し考えた井上は、それを否定するように頭を振って答えた。


「不安、…ってわけでは、ありません」
「ただ、これで本当に良かったのかどうか、自分でも、わからない? 」
「卒業と同時に出るような、都合のいい答えなんて、どこにもありませんから。
自分が選んだ道が正しかったかどうかなんて、どうせ、最期にしかわかりません」
「俺の差し出した手を掴んだ自分を、信じてよかったのか、迷っている? 」


カチリと、大き目の器にフォークとナイフを揃えて戻した尾形は、ふいと顔をあげると、確認するように井上にそう尋ね。
言われた井上は、さっきよりも強く首を横に振り、答えた。


「尾形さんのことは、…信じています。
多分、自分自身のことよりも」
「…それは、光栄なことだと思っていいのかどうか、…少し判断に迷うな」
「SPになることを選んだ自分を、間違っているとは思っていません。
けど俺は、自分がちゃんとSPでいられるのか、自信がないのかもしれません。
そして、尾形さんの4係で、尾形さん以外の人たちと、ちゃんとSPとして、やっていけるのかどうか。
……俺自分が、多分、そう簡単に周りに受け入れてもらえるような、まともな人間じゃないことくらい、わかってますから。
きっと俺は、尾形さんに、いらない迷惑を、いっぱいかけると思います。
だから、俺が迷っているとすれば、…こんな俺に、尾形さんの手を、差し出させたことに、…本当にコレでよかったのかって、迷っているのかも、しれません」


そういって俯いた井上に、尾形は小さく息を吐いた。
そして、途中で食事の手の止まっている井上を促すように、テーブルのむかえから手を伸ばし、皿を少し井上の意識の届く範囲に押し出して、彼の顔を上げさせると、再びカトラリーを手にした井上を確認してから、口を開いた。


「そんなことは、井上が心配する必要のないことだ。
俺は、井上がSPとしての適正を欠いているとは、全く思っていないし、ある意味、現役のSP達を凌ぐほどの力を有してるとさえ、思っている」
「けどそれは…」


大人しくフォークを動かしながら、尾形の話しに耳を傾けていたはずの井上は、尾形のその言葉に反論しかけたが、それを遮るように、尾形はその井上の声に、話を被せた。


「俺は、井上だけが持つ、特殊な感覚のことを言っているんじゃない」
「…………」
「もちろん、それだって、十分井上の力になるだろうけれど、それがなくても、井上は十二分に、SPとしての能力を有していると、俺は考えている」
「…まだ、警察学校で、SPとしての模擬訓練をしただけの、実地で初任務にすらついていない人間に対して、…それは、尾形さんの、過大評価ですよ」
「いいや。
目の前に、当たり前に転がっている危機と、それに直結している死に対して、常に覚悟が出来ている人間なんて、今の平和ボケした日本には、そうそういない。
それがいいことか、悪いことかは別にして。
そういう人間だけが、正確に、死を回避する為の術を持ち、危険に備える力を、有しているんだ。
だから井上は、SPとして、申し分ない能力を有していると、俺は思っている。
……井上自身が、そのことを、どう思っていようとな」
「俺の存在が、尾形さんの負担になることは、ありませんか? 」
「ないな」
「……だったら、いいです」


きっぱりと言い切られたその言葉に、それ以上の否定の言葉を持ち得なかった井上は、手にしたカトラリーを皿に戻し。
まるで、その瞬間を計っていたかのようなタイミングで、メインの魚料理であるブレゼが運ばれてきたので、二人は流暢な日本語で料理の説明をする、フランス人料理長の話しに暫し耳を傾け、口を噤んでいたが、にこやかな笑顔で彼が出て行った扉を確認するように見ていた尾形は。
そこに向けていた視線を、蒸し料理にありがちなソースたっぷりの皿の上を、ソーススプーンでウロウロさせながらそこに視線を落としている井上に移して、話の続きを再開した。


「何事も鵜呑みにせず、まずは疑ってかかるということは、警察官としては、それなりに必要なところだからいいとして。
ただ、信じてもいい相手と、そうでない相手を見極める必要性は、あるだろうな? 」
「見極める、…ですか? 」


そういう尾形に、ちらりと視線を上げて来た井上に、頷いて見せた尾形は、フォークかソーススプーンかと迷っている井上に、無言のうちに知らせるがごとく、右手でソーススプーンを持ち、それを味わって見せてから、話を進めた。


「誰でも彼でも、際限なしに疑ってたら、疲れてしょうがないだろ? 」
「信じることは、…苦手です。
自分を信じるのにも、大概苦労してますから」
「ならせめて、井上の配属される4係の仲間のことくらいは、信じてやってくれ」
「4係の人は、どんな人たちなんですか? 」

井上の問いかけに、少しだけ思い出すような顔をしてから、手にしたフォークを止めることなく、尾形は言った。


「4係に配属されている人間は、お前を除いて3人だ」
「意外と少ないっすね」
「4係は他と違って遊軍だからな。
それに、3人でも十分俺の手いっぱいだ」


可笑しそうにそう言った尾形に、聞いていた井上も小さく笑ってから、話しの続きを促すように、視線を上げ、丁寧な手つきで、口元に料理を運んでいた。


「石田は、…無口だが、仕事の出来る奴で、必要なこと以外は、あまり無駄口を叩かない。
不言実行で、SPとしては、申し分のない人間だから、俺も石田には、全幅の信頼を置いている」
「尾形さんが、そこまで手放しでほめる相手なんて、…すごい羨ましいですし、早く逢ってみたいです」
「思っていることの半分位しか、口に出すことのない人間だが、石田自身が、わかっていると語ることの倍以上のことを、多分石田本人はわかっていると、俺は思ってる。
ただそれが、相手によっては、”話さなくてもわかりあえる”…が、通用しない場合もある。
…身内からすれば、死と隣り合わせの職業としか思えない、…危険極まりないSPの仕事なんかを辞めてくれと懇願されても、大した理由も説明せず、迷う素振りすら見せないでNOといったばかりに、奥さんと離婚して、可愛い盛りの娘にも、仕事の忙しさもあいまって、数ヶ月に一度くらいのペースでしか、逢えていないらしい」
「…それは、寂しいっすね」
「ま、表面上は、全然そんな風にはみせないがな」
「その石田さんが、4係の人の、…その3人の中じゃ一番のまとめ役みたいな人ですか? 」
「そうだな。
ある意味、一番プロ意識が高いから、人当たりはよさそうに見せていて、その実、そう簡単に自分の懐を、他人に開くことはないが。
さすがに、人の親だけあって、周りの人間や状況を、落ち着いてよく見ているし、さりげなくフォローを入れることも、如才ない。
周りの人間も、それがわかっているから、石田への信頼度はかなり高いな。
そういう意味で、石田が井上を認めてくれれば、他の二人も、すぐにお前を、受け入れるだろうと、俺は思うよ」
「他の二人って言うのは? 」
「笹本と山本。
笹本は、女だてらになんて言ったら怒られそうだが、そんじょそこらの男が、束になってかかっても叶わないほど、力もあるし、気持の面でも、まっすぐで、早々折れそうにない芯の通った女性SPだ。
多少口は悪いが、口と心がほぼイコールで繋がっているような人間だから、井上は、笹本なら傍にいても、一緒に組んでも、ちゃんと安心できるんじゃないか? 」
「……尾形さんに、そういうのを気にかけてもらっておいて、俺がこういうのもなんなんっすけど…。
もし仮に、口と心が180度違っていても、…それはそれで、もう20年もですから、…さすがに俺も、慣れました」


ごくあっさりと、無表情にそう返した井上に、一瞬だけ眉間に皺を寄せた尾形は、それでも、すぐになんでもなかったかのように、
「そうか」
とだけ呟いて、話を元に戻した。


「笹本も、石田と同じ位プロ意識が高いから。
井上のSPとしての能力を認めたら、あとは、うまくやっていけるだろう。
俺からすれば、どこか笹本と井上は似通ったところがあるからな、…彼女と一番、仲良くやれるんじゃないかと、俺は考えている。
ただし、間違っても。
井上の彼女には、なってくれそうもないだろうけどな」


真剣な話をしていたはずなのに。
唐突にだされた、尾形のその気の抜けそうな話題に、お行儀悪くむせかけた井上は、慌ててミネラルウォーターの注がれたグラスを、奪うように片手で取り、それを飲み干してから、抗議の声を上げた。


「…なんなんっすか、それ! 」
「いや、熊田教官から、井上は合コン好きだって聴いていたからな。
違うのか? 」
「はぁ?
それじゃあまるで、俺がただの女好きで、見境なくがっついてる、下心みえみえの馬鹿男じゃないですか!
尾形さんは、教官とそんな話をしに、わざわざ警察学校まで来ていたんですか? 」
「別に俺は、井上をそういう風に思っているわけではないし。
どうせ井上は、合コンのあと、簡単にお持ち帰りして、おいしく頂いちゃったなんてことは、皆無なんだろ? 」
「……ほっといてください」


井上からの否定の言葉など、露ほども想像していないといった顔で、面白そうにそういう尾形に、ぶすくれた顔で答えた井上に、ふっと笑った尾形は、話をそのまま進めた。


「それに、その話だけをしにいっていたわけではないさ。
熊田教官は、信頼の置ける人物だし、教官なんて職務を長年やっているだけに、観察眼が鋭い。
そんな彼の目に映る人物像が、大幅に外れていることは、ほぼないからな。
教官としての立場で井上を見たときの、率直な感想を聞いておくのは、俺が井上と、今後上司と部下として、4係で付き合っていくのに、必要だと思ったからだ」
「……だったら、必要な話しだけを、してくださいよ」
「それも必要な要素だろ?
SPだって、人間だ。
SPの職務上、ストイックさを求められることは多いが、そういう人間的な部分をちゃんと持っていても、なんら問題はない。
それに、井上が俺に見せている面と、四六時中師事を仰いでいる教官に見せている面には、必ず違いがあるはずだからな。
色々、有益な情報を得られたと、俺は思っている」
「……合コン好きって話題がですか? 」
「えらくそこにこだわるな。
ただ、職場恋愛は自由だが、可能性がゼロだってわかっている相手に熱を上げたんじゃ、お前が不憫だろ?
だから、親切心で、先に教えといてやろうと思って」
「ありがたいのか、そうじゃないのか、全然わかりません」
「笹本に逢えば、すぐにわかるよ。
俺の言いたかったことが」
「…もう、わかんなくてもいいっすけどね」
「合コンで探すからか? 」
「だから、…合コンっていっても、カジュアルお見合いみたいなもんですって」
「お見合いなんかして、どうするんだ? 」
「…うまく行けば、結婚するに決まってるじゃないですか! 」
「なぜだ? 」
「…尾形さん、俺のこと、馬鹿にしてるんですか? 」
「いや」
「…幸せにならないといけないからです」
「ならないと、いけないのか? 」


尾形の質問責めに、思わず言葉の詰まった井上は、それでも、気を取り直すように、答えを返した。


「いけないって言うか、…なんか、すごい、”早く、早く”って、ここが言ってるんです。
自分でも言ってて、意味わかんないですけど。
けど、そう感じるんです」


井上はそういいながら、手にしたグラスをテーブルに戻し、そのまま、その掌を、自分の胸に乗せた。


「早く幸せにならないと、…って? 」
「…そんな気がする、…ってだけなんですけど…」
「誰のために? 」
「……わかんないですけど。
強いて言うなら、亡くなった両親のため、…っていうか、あの状況で生き残ってしまった人間の義務っていうか、なんか、そうでもしないと、両親に申し訳が立たないって言うか、自分で言ってても意味不明なんっすけど、…そういう感じでしょうか? 」
「で、結婚して、どうするんだ? 」
「……えっ? 」
「国家公務員とはいえ、SPなんて職業は、一般的には敬遠されがちだが、井上の見てくれと、SPとしての年収だったら。
井上が本気を出しさえすれば、結婚相手なんて、すぐ見つかるさ。
なら、その井上の望む結婚を、めでたくしたあと、お前はどうするんだ? 
幸せな、家庭を作る?
幸せな、家族を作る?
その、井上の言う”幸せ”って、どういうものなんだ? 」
「それは、…まだ考えてません。
…っていうか、多分、よくわかりません」


段々言葉尻が小さくなる井上に、ため息交じりの言葉を、尾形は吐いた。


「警察組織の通例で、井上の選ぶ相手を、まずは俺に審査させろなんて、ナンセンスなことを言うつもりはないが。
合コンも、お見合いも、…無駄な努力は、しないほうがいい。
本当に、自分の連れ合いを見つけなたいのなら、その答えを考えてから相手を探さなければ、…多分、何度やっても、お前の相手は、見つからないよ」


そう言った尾形の真意に気づいているのか。
もしくは、いわれるまでもなく、そのことに自覚があったのか。
これといって、反論することもなく、井上は目を伏せてから、わざとその話を逸らすかのごとく、違うことを口にした。


「で、もう一人の人は、どんな人なんですか? 」
「山本か? 」
「山本、…っていうんすか、その人」


わずかに、眉根を寄せて嫌そうな顔をした井上を察した尾形は、手を止めて、井上に尋ねた。


「なんだ、”山本”って名前だったら、なにか問題でもあるのか? 」
「いや、田中とか山本とか、…なんか、そういう、わざとらしすぎて、偽名なんじゃって思えるくらい、どこにでもある名前の人間ってのが、俺にとっては鬼門っていうか、なんていうか…」


しどろもどろに返す井上に、はははと、声に出して笑った尾形は、話題を変えたがる井上の気持を察して、明るめの声を出し、口を開いた。


「同期の田中は、井上にとって、鬼門なのか? 」
「自覚があるんだか、ないんだか。
あっさり、人の内側に入ってくる相手は、…少し苦手です」
「なるほど。
なら、山本も苦手かもしれないな。
あいつも、井上の同期の田中とは正反対の人種だが、人の内側に入ることを、全く躊躇わない人間だろうからな」
「…真正直、なんですね」
「良い様に、言えばな」


笑いを含ませた尾形の答えに、不思議そうに首をかしげた井上を見て、尾形は言った。


「山本は、井上より2ヶ月弱早く4係に配属されたから、ほぼ同期と言えるが。
山本は、目に見えるものを、素直に受け取るタイプの人間だから、最初はお前と衝突するかもな」
「俺は、人と争うの嫌いなんで、衝突はしませんよ」
「そういう態度が、余計山本を刺激しそうだが。
ま、そのうちわかるだろう、山本にも」
「………? 」
「山本は、お人よしで、素直なんだ。
そして、強いものには、純粋に憧れる。
…だから、井上の本当の強さを知れば、すぐに井上を受け入れるよ」


視線を浮かせて、考えるようにそういった尾形を見ていた井上は、食べ終えた皿にフォークを戻し、唇の両端を上げて、答えた。


「なら、俺の最初のハードルは、そんな、…ある意味、SPの枠に囚われてない、…個性的な笹本さんと山本さんをまとめてる、その、石田さんのお眼鏡にかなうことですよね? 
まあ、俺の警護態度で、そう簡単に認めてもらうのは、難しいでしょうけど。
せっかく俺なんかを呼んでくれた尾形さんの顔に、泥を塗らないよう、努力します」
「それは、大丈夫だろ?
石田は優秀なSPだから、井上の、…ありきたりの感覚で、単に表面上を見ただけでは判断できない、…SPとしての自然な動きと、潜在能力の高さには、すぐに気づくさ」
「けど、尾形さんの話を聞いていたら、きっとその石田さんは、すごくちゃんとした人っていうか、…常識のある大人、って感じですよね?
そんな常識人に、俺の態度は、不快極まりなく見えるような気が、もの凄くしないでもないんですけど…」


話をしていたから、井上より半秒ほど遅れて、メインの魚料理を食べ終えた尾形は、その井上の不安げな声に、笑いを堪えず話を続けた。


「井上は、自分が”常識”ってものをすっ飛ばしてる自覚は、あるんだな」
「…尾形さん」


大げさに驚いたフリをする尾形に、非難がましく井上がにらみを利かせたが、そんなことにはお構いなしに、尾形は飄々と答えた。

「何も俺は、それが悪いなんて言ってないさ。
ただ、そんな、ありふれた常識にかなっていない自分を、井上自身が多少なりとも卑下しているとは、正直思っていなかったから、少し驚いただけだ」
「俺だって、…普通が一番だって、思ってますよ。
…多分、他の誰よりも」
「普通ねぇ…。
何をもってして、普通というのかは、はなはだ難しいところだが。
世間の言う”普通”とやらにこだわっていたら、俺は4係の係長なんて、やってないよ。
俺は、そんな普通のSPでいるために、SPになったんじゃない」
「尾形さん? 」
「常識なんてものに捕らわれていたら、救えるものも救えなくなるし、護れるものも護れなくなる。
それじゃあ、なにも変わらない」
「尾形さんは、何かを変えたいんですか? 」
「俺が変える訳じゃない。
恐らく、もういい加減、変わらなければいけない時に来ているんだ、この国は。
…本当のことを言うと、遅すぎるくらいだとすら、思う」
「…………」
「この国の安全と水が、ただで手に入っていた時代は、とっくの昔に終わっているんだよ。
だから、それを簡単に覆して、常識の盲点をついてくる相手に対抗しえる力を持つことが、今の自分たちに求められていることだと、俺は考える。
SPがそこまでする価値が、その相手にあるのかどうか、…それを考え出したら、きりがない。
だから、今考えるべきは、それではないと、俺は思う。
護る対象の問題ではなく、SPが、SPとして、…その職務を、まっとうできてさえいれば。
失われずにすんだ人の命も、曲げられずにすんだ人の未来も、…きっとそこに、あったはずだから」


声のトーンを変えることなく、けれど、噛み締めるようにそう語る尾形を、井上は黙って見つめていた。
二人の細い息遣いしか響かない室内に、次の肉料理を運んできたギャルソンが、その雰囲気にたじろき、部屋の入り口でふと足を止めたが、すぐになんでもない風にそちらを向いて見せた尾形に、ほっと胸をなでおろしたギャルソンは、手早く料理の皿を入れ替え、部屋を後にした。

メインの肉料理からたち昇る湯気と、鼻腔をくすぐる香草の香りを放つ、白い大きな器に視線を落としたまま、静かに井上は言った。


「尾形さんは、SPの常識を覆す…。
そんな、ただの動く壁とされているSPを、…超えられる存在を、探しているんですね」


井上の台詞に、否定も肯定もせず、やんわりと微笑んで見せた尾形は、カトラリーに手を伸ばし、肉を切り分け始めた。


「4係の人は、…みんな、尾形さんが? 」


尾形の沈黙を、肯定の返事と受け取った井上は、メインディッシュにとりかかった尾形をなぞるように、自分も皿に手を伸ばし、上目遣いに、質問の意図より、確認の意味合いを深めた口調で、尾形に聞いた。
言われた尾形は、手を止めないどころか、視線すら井上に合わせずに、答えた。


「まさか。
たかが、警護課の一係長に、そんな権限はないよ」
「それは、嘘ですよね」
「井上? 」
「西島理事官は、…尾形さんより、明らかに階級は上ですが。
多分、尾形さんは、西島理事官を、動かせます」
「面白い冗談だな」
「尾形さんは、そんなはずはないなんて、頭から否定せず。
俺の能力、買ってくれてるんじゃないんですか? 」
「井上の、警察学校での訓練結果から、SPとしての才能があると、見込んだだけだが」
「訓練結果を知っている人間は、普通に考えて、俺を呼んだりなんかしませんって。
やっかいなこと、この上ないですから。
しかも、正義の為にSPになったなんてことを、言ってのけるような人なら、なおさらです」
「正義を護るために、優秀なSPになりえる人間が欲しかった。
ただ、それだけだが? 」
「それも、嘘なんですよね。
正義なんてものを、…尾形さんは、はなから信じてないですもん」


正義なんてものを信じていない人間が、警察官を名乗る。
そんな、あってはならないようなことを、平気に口にし。
それを、さも当然と言わんばかりに、そう言い放った井上を見て、少しだけ目をみはった尾形は、けれど、自分が口にしたことを、なんとも思っていない様子で食事を続ける井上を見つめ、肩の力を抜き、口を開いた。


「いやになったか? SPが。
……いや、俺の下で、SPになることが」
「いいえ。
俺は、ここ以外に、いけるところは、どこにもありませんから」
「井上? 」
「俺みたいな人間がやれることなんて、SPしかありませんし、いけるところも、どこにもありません」


話している言葉の意味を考えれば、それは酷く、絶望的なことであるはずなのに。
けれども、それを全く感じさせない。
まるで、老成した人間のような。
何もかもを受け入れ、その全てを見通したような、…そんな、達観した澄んだ瞳で、井上に見つめ返された尾形は、不意に襲い来る既視感に囚われ、瞠目し、口を噤むしかなかった。


「だから、尾形さんが信頼できるというのなら、俺もその4係の人たちを信じますが。
唯一つ、わがままを聞いてもらえるのなら、尾形さん以外の人に、俺のことは、…あまり、知られたくありません」


井上のくちびるから、ぽつりと零された、哀しい”我儘”とやらに、尾形は首を傾げて、尋ね返した。


「井上の力のことを? それとも、井上の過去のことを? 」
「……できれば、両方」
「なぜだ? 」
「…言っても、意味はありません。
っていうか、引きますよ、普通」
「まだ、直接逢ってもないからな。
見も知らない人間を、そう簡単に、信用できない、…か」
「そうじゃありません。
さっきも言いましたが、尾形さんが信用できるというのなら、俺も4係のみなさんを、信じます」
「信じてないから、言いたくないのだろう? 」
「言わない方がいいことだって、世の中には沢山あります。
信じているからこそ、言えないことだって…」
「SPの基本は、相手を信頼することだ」

 

それは、単なる理想論だといわれれば、否定のしようがない。


そんなことは、尾形だっていうまでもなく、わかっている。
ただ、それが理想だということは、それがベストだということも、真理だった。


だから尾形はそう言った。
けれど、言われた井上は、その刹那、今まで見せたこともないような顔をし、唇の端を歪めて、低い声で、息つぐ暇もないくらいの勢いで、言葉を発した。


「言えば、何かが変わりますか? 
誰かに言えば、この忌まわしい感覚を、わかってもらえますか?
そんなことは、決してない」
「わかってやれなくても。
せめて、わかってやりたいと思うことも、許されないのか? 」
「……同情ですか? 」
「まさか」
「それが同情じゃなかったら、一体なんなんです? 
確かに、両親のことを誰かに話せば、…同情は、してもらえるかもしれない。
けど俺は、そんなもの、欲しくない。
本当に欲しいものは、いつだって、俺の手には、入らない」
「…井上」
「本当のことを言えば、死んだ人間が、還ってくるんですか?
あの20年前の雨の日に起きた出来事が、全部、なかったことに、なるんですか?
そんなわけない。
言ったところで、何も変わらない。
…なら、言ったって、相手の負担にしからならないようなことを、あえて言う必要は、ないじゃないですか! 」
「言っても、何も変わらないのか?
本当に? 」
「……変わりませんよ、なにも」


気がつくと、感情に流されるかのごとく。
井上の中で、ぽっかりとあいてしまった、暗い空洞の中から、いつだって、飛び出したがっている感情の発露を、井上自身は知っていた。
その、一度飛び出してしまえば、収拾がつかなくなるであろう怒りの感情を押さえる為に、そこに大きく口を広げてあいてしまっている穴を、見ないフリをし、その上に重い蓋をして、なにも感じないように、自分を言い聞かせてきた。

けれど、尾形の口車に乗せられるように、その蓋を開け掛けてしまった自分を、とても驚いたように、ぎゅっと両手の掌を握り締めた井上は。
無意識のうちにでも、動かしていた手を止めてまで、饒舌に話しこんでしまっていた自分を、少し戒めるように目を瞑り。
自分を落ち着かせるがごとく、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出し。

最後の言葉で、この話を無理矢理終わらせるように。
それをわざと投げやりに言って、食事を再開すべく、両手を動かしかけたが、そんな井上を見ていた尾形は、それに反して、両手を止めてテーブルの上で重ねると、さらりとその言葉を言った。


「そうかな?
少なくとも、今俺は、変わったぞ? 」
「えっ? 」
「俺は、変わった」


その尾形の優しげな声に、ついと顎を持ち上げた井上は、きょとんとした顔で、尾形を見ていて。
それから、その尾形の言葉と視線に、驚いたように目を見開いた井上の、吸い込まれそうなほどの大きな瞳に、ゆらりと揺れる水の膜が、薄っすらと張られていく様を、尾形は見ていた。

そして、そんな、先ほどまでの、頑なな鎧を纏っていたような、硬質な雰囲気の井上とは打って変わって。
脆ささえ感じさせる、酷く幼げな様子を見せる井上へ、噛んで聞かせるように言葉を選び、尾形は唇を動かした。


「井上がそうやって、怒ったり、泣いたりも、ちゃんと出来る。
そういう、…自分と同じ人間なんだってわかって、少し、安心した。
いくら自分の部下とはいえ。
独りで何もかもを飲み込んで、自分の中で、それを誰にも気づかせずに昇華してしまうような、……SPになるといえども、他人を護ることが最優先で、なにもかも自分のことは後回しな、……そんな、神様みたいな人間を相手にするのは、俺だって、さすがにしんどいからな。
井上が、ちゃんと、人間らしいところを持っていてくれて、安心した」
「…尾形さん……」


気遣わしげな視線で。
けれど、押し付けがましくない優しさを湛えた尾形の視線を一身に受けていた井上は、その言葉で、自分の頬を伝う涙を、指先で慌ててぬぐった。

そして、尾形の名を呼ぶだけで精一杯な、言葉の詰まった井上をわかっているかのように。
尾形は軽く、一つだけうなづき返して、そんな井上を見ない振りで、メインの肉を片づけ始めたその心遣いに、それでも自分を、その意識の中にいれているだろうことを悟っていた井上は、ぎこちないながらも、尾形に向かって笑って見せてから。
自分も同じように、目の前に並べられた食事を、再開した。

 

「美味いか? 」
「はい。
でも、ちょっとだけ、…しょっぱいです」


少しだけ、涙交じりの井上の声は。
けれど、それを楽しむかのように、ジョークを重ねた台詞で返され、尾形はさらりと答えた。


「だろうな」


皿に向かって俯いたことで、井上の瞳から、ぽろりと落ちた水滴が、その視界の端に見えていた尾形は、そういって、クスリと笑うだけにとどめて、皿の上の料理を片した。

 

二人の皿が、あらかた奇麗に片付けられたころあいを見計らって、デザートとコーヒーが運ばれてきた頃には、目の端だけ、わずかに赤みを残している井上は、それを素知らぬふりで、無邪気に、チョコフォンダンにフォークを差し入れ、中からとろりと零れてくる溶かされたチョコレートを、楽しそうに眺めていた。


そんな、ごくごく普通のどこにでもいる青年、…というよりかは、若干、子供っぽさを覗かせた態度で、デザートをつついている様子とは裏腹に。
ふいに、その手を止めて顔を上げた井上は、そんな自分をじっと見ていた尾形と視線を合わせると、まっすぐにその目を見返し、整った鼻筋の下で、形良く動かされる唇に、その言葉をのせた。


「尾形さん。
俺が、次に尾形さんと逢って、あなたの名前を呼ぶときは、ちゃんと、…”係長”って呼びますから。
だから、今だけ。
一つだけ、本当のことを、教えてください」
「……なんだ? 」
「尾形さんはどうして、警察官になろうと思ったんですか? 」

 

そっと囁かれた、井上のその言葉は。
数ヶ月前、西日の差し込む、警察学校の講義室で交わされたものと、全く同じものだった。

けれど、そのときと違う答えを、尾形は、口にした。
あの場で、簡単に尾形の嘘を見破った、井上に。


それが、井上の望むものであるならば、…と。

 

「どうしても…。
どうしても、忘れられない一日が、俺の中に存在しているから、…かな」


その言葉を聞き入っていた井上は、小さく息を吐きだしてから、言った。


「同じですね、俺と」
「……井上? 」
「安心してください。
もう、これ以上は、聞きませんから。
俺も、言いませんし」
「どうして…」
「決めちゃったんですよね、尾形さんも。
その先に何が待っているのか、わかってても。
それでも、そのたった一日の、消せない記憶を引き摺ってでも、…前に進むことを。
だったら、それは誰にも止められません。
ちゃんと、その全部を受け止める覚悟を、もうとっくの昔に、しているんですから」
「止めるつもりがないのに、聞いた理由は? 」
「ただ、知っておきたかっただけです。
聞いたからって、止められるわけないことは、俺が一番知ってます。
自分のことは、自分以外の誰にも、…決めることなんて、出来ません。
時に、そうじゃないように見えるのは、決断のときに、誰かのことを、想いうかべることが、あるからです。
でも、結局答えを出すのは、自分自身だけです。
だから、尾形さんのことも、誰も止めることは出来ない。
だって、最期に決めるのは、他の誰でもない、……尾形さん自身なんですから」

 

最後は、にこりと笑って見せて、そんなことを言う井上に、尾形は息をのんだ。


自分たちが歩いているところは、細いく長い絶望という名の崖の縁を、綱渡りくらいの危うさで、進んでいっているのかもしれないと、尾形は思った。

崖の向こうに側に落ちれば、そこには、すぐに死が手招きをして、待っている。

それを知っていて、なおかつ、そこを進もうとすることは、愚かな人間のすることなのかもしれない。

けれど、たとえそれが愚かな行為であろうとも。
やらなければいけないことはあると、尾形も井上も、知ってしまっているのだろう。
だから、やめない。
辞められない。


ならばせめて、井上だけでも。
そこで転ぶときには、崖の外側に向かって落ちるのではなく、多少の怪我を負ったとしても、崖の内側に向かって倒れてくれることを、尾形は密かに願った。

 

尾形の目の前では。
何事もなかったかのように、警察官の制服に身を包み、正義なんてものを、爪の先ほども信じていない、警察官である人間を前にして。
平然と、デザートのケーキに、舌鼓打っている青年が一人。

 

幸せにならなければならないと、独り生き残った少年は想い。
けれど、それと同じ位の重さで。
自分のような人間が、幸せになれることなど。
この先きっと、起こりえることはないとすら、想っている。

そのアンバランスさが、井上の脆さを引き出しているようで、尾形は耐え切れずに、瞼を伏せた。

 

けれど、かちかちと、耳障りな音を立てるのも気にせず。
チョコフォンダンを食べながら、これでもかというほどの、砂糖とクリームを入れたコーヒーを、メレンゲにでもするくらいの勢いで、ぐるぐるとかき混ぜ続ける井上に目をやった尾形は。
その、”元コーヒー”と、いわざる得ない物体に成り下がったそれと、井上を交互に見やって。
それを井上に語ったところで、本人にその自覚がない以上、その脆さを自分で庇う気など、さらさらないであろうことは、即座に見てとれて。

たとえ、それを気づかせたところで。
なら、どうすれば、自身の危うさを止められるのかなど。
そんな、本人にすらわかりえないようなことを指摘したところで、どうしようもないことも、尾形は、わかりすぎるほどにわかっていた。


いや、唯一つ。


井上の抱える、その危うさの均衡を支える術があるとすれば。
それは、SPであり続けるか、SPにならないかの、そのどちらかしか、ありえない。


ならば、井上の導き出す答えなど、聴くまでもなく、わかっていたので。
尾形はそれ以上、その話題をすることを諦めて、自身の気持を切り替えるように、深く息を吐いた。

 


「そう言えば、井上」
「はい」


この店のパティシエが見たら、自分の作ったチョコフォンダンを食べながら、飲む飲み物がそれなのかと。
泣けてくるほどの、砂糖増量ミルクコーヒーと名を変えてしまっている液体が入ったカップを、両手で包み込むようにもち、満足げに飲み干している姿に、苦笑いを浮かべながら尾形がそう声をかけると。
さっきまで自分たちが話していたことが、幻であったかのように、普段と変わらない表情で、ぴょこんと顔を上げて、井上は尾形を見返した。


「何が欲しい? 」
「はい? 」
「卒業祝いに。
何か欲しいものは、ないか? 」
「へっ? 」
「本当は、今この場に用意しておくべきものだったんだろうけど。
井上の欲しがりそうなものが、全然想像つかなくてな。
なら、本人に直接聞いたほうが、早いような気がして、用意してこなかったんだ。
だから、何がいい? 」


尾形の申し出に、予想外と顔に大書きした表情で、長いまつげがばさばさ音をたてそうなほど、目をぱちくりやった井上は、素っ頓狂な声をだしながら、大慌てで、手にしたカップをソーサーに戻すと、両手を顔の前でぶんぶんと、大仰に交差させ、返事を返した。


「そんなのいいですよ」
「なんでだ? 」
「なんでもです。
っていうか、こんな豪華な食事をさせてもらった上に、尾形さんからまだなんか貰うなんて、とんでもないっす。
もう、十分ですから」
「そうはいかない。
なんなら、この後時間があれば、このまま買いに行ってもいいし。
…そうだな、井上が遠慮して決められないなら、せっかくだから、スーツとか選びにいくか?
どうせ、必要になるものだろ? 」
「は? 
それって、冗談、…ですよね? 」
「なんで、冗談になるんだ? 」
「いや、スーツなんて、買ってもらえませんって。
大体、AOKIとか青山とかのことを言ってるんじゃないっすよね? 」
「当たり前だ。
井上は、係長ごときの給料を、馬鹿にしているな? 」
「…ありえませんから、それは」
「だったらいいじゃないか。
まさか俺だって、いきなりアルマーニのオーダーメイドを作ってやるって言ってるわけじゃないんだから」
「それこそ、当たり前です。
そんなの貰った日には、俺はVIPの弾除けじゃなくて、尾形さんの弾除けにならないと、許されませんよ」


真剣な顔をして、現実的に考えれば、とんでもないことを言い出す井上に、噴出した尾形は、その場をとりなすように言った。


「俺に弾除けは必要ない。
大体、SPは、VIPの弾除けなんかじゃない」
「…すみません、言葉が過ぎました」
「いや、…それはいい。
けど、卒業祝いなんだから、気にせず受け取ればいい。
スーツなら、いくらあっても、邪魔にはならない。
井上くらいの年だったら、J.CREWとかタケオキクチあたりが、妥当なところか? 」


そういって、井上のそれとは対照的に、ブラックのままのコーヒーを飲み干した尾形は、少しだけ首を傾けて、20代の男性が好んできそうなブランド名を、口にしていた。

いつのまにか、尾形が井上にスーツを贈る事が、既に決定事項となりつつあるその現実を前に、今度は井上が、苦笑いを浮かべる番だった。

決して、わざとではないはずなのに。
なぜだか、言葉巧みに、相手を自分の思惑に乗せることを、自然としてしまえる尾形を見ながら、井上は困ったように眉尻を下げ。
コーヒーを飲みながら、あれこれとどの店に井上を連れて行くかなどと、勝手に考え始めてしまっている尾形の意識を自分に向けさせるために、少し大きめの声を出して、尾形の名を呼んだ。


「尾形さん」
「なんだ?
他に欲しいものでも、考え付いたか? 」


言ってみろといわんばかりの顔で、自分を見てくる尾形に、井上は首をふるふると振って、答えを返した。


「尾形さんと一緒に買い物できるなんてことは、俺にとって、すごい魅力的ですけど…」
「えらい、持ち上げようだな」
「本気です。
けど、魅力的過ぎて、困ります」
「どういう意味だ? 」
「俺は、欲しいものは、特にありませんから」
「井上」


欲しいものがないと。
そこに、なんの嘘偽りもなく、すんなりそういいきる井上を、たしなめるように声をかけた尾形に。
そんな言い方をされるであろうことを、予想していた井上は、まだ話しは終わってませんといった顔をし、くちびるの両端を持ち上げて、続きの言葉を言った。


「ホントいうと俺、4係で自分が上手くやっていける自信って、…あんまりありませんでした。
不安なわけじゃないって言いましたが、多分それは、俺の強がりです」
「そうか…」
「でも今日、こうやって尾形さんと話が出来て、気づいたことが、一つあります」
「気づいたこと? 」
「俺は、独りじゃありません」
「井上…」
「大丈夫。
きっと俺は、4係の皆さんと、石田さんと、笹本さんと、山本さんと、…尾形さんの信頼する、その皆さんと、……うまくやっていけます」


そこまで言った井上は、ふと瞳を閉じて、その瞼の向こうを見通すくらいの時間を置き、すっと目を開くと、その言葉を付け足した。


「……尾形さんがちゃんと、そこにいてくれるのだとしたら」
「……いるよ、俺は」
「はい。
なら、それだけで、俺にとっては、十分卒業祝いになりえます。
けど、それでも、尾形さんが、卒業祝いに、俺に何かを下さるって言うんなら」
「言うなら? 」
「約束を、一つ下さい」
「……ん? 」
「今日って、3月9日ですよね? 」
「そうだが…」


井上の唐突な申し出に、わりと感情の起伏が殆どない、精神的に安定している尾形にしては珍しく、戸惑った声で答えたが、井上はさらりと、その先の言葉をつむぎだした。


「じゃあ、来年の3月9日も。
こうやって、尾形さんと二人で、…一緒に、食事をさせてください。
その約束だけで、俺は十分です」


来年の今日も、同じように一緒に食事をする。

それは、4月から、同じ職場で机を並べる上司と部下が、来年の3月9日という日にも、ただ一緒に食事をするというだけの、……そんな、普通に考えれば、それは、ごくごくありふれた日常に、簡単にありえそうな出来事で。
卒業祝いにと申し出た人間に対して、あえて、約束を取り付けなければならないような出来事では、ないはずだった。


けれども、そのことを、真摯な眼差しで、請うように語る井上に、尾形は一瞬言葉を失くしたが。
しかし、その約束を欲しがる井上の、痛々しいまでの想いを、まっすぐに受け取った尾形は、”たかがそんなこと”とは、決して思えずに。
けれど、わざとそこに重さを感じさせないように、返事を返した。


「そうだな。
緊急呼び出しがなければ。
来年の、3月9日に。
…そう、約束するよ」
「はい」


尾形の口から語られる、そのたった一つの、井上にとっては、切実なまでの約束に。

こくりと、首が軋むのではないかと思えるほど、強くうなづき返した井上を、安心させるように、尾形は頬を緩めると、そっと微笑んで見せた。

 


そして尾形は。
今日という、この日の約束が。


自分の命と、人としての誇り以外の、何も持たない井上が。
何かを、誰かを、護る為に。
それ以外に、何も、捨てられるものを持っていないがゆえに。
そのどちらかを捨てなければならなくなった時。


それを天秤にかけるまでもなく。
一番最初に、自分の命を手放すであろう彼を、SPにした自分が、願っていいことではないとわかっていながら。


それでもなお。
そのたった一つの約束が。
来年の、3月9日という日の存在が。


いつか、そんな井上を護ることになり得ることを。

……心静かに、そんな、切なる祈りを。
二人が座るテーブルの、窓の向こうに見えている、桜の蕾がほころびはじめた世界を照らす。
凛と澄んだ青い空に向かって、馳せていた。




END



おおお、3月9日に、ギリギリ間に合った~!!

ホント、ギリギリなんですけど、ええ、もう22時回ってますから~(てへ)

というわけで、井上くんの卒業式記念。
ってか、単に、成瀬が、レミオロメンの「3月9日」が、すごい好き!って言うだけの気が、しないでもないんですが、この時期は、絶対コレを聞くんで、コレ聞いてたら、ふとこの話を思いついてしまったわけです、ハイ。

だからといって、別に卒業ソングじゃなくて、ホントは、結婚式ソングなんですけどね(大笑)

でまあ、またそのうちブログででも詳しくかくと思いますが、このPVがすごいすきなんですよね。
ブレイク前の、堀北真希ちゃんが出てて、多分、おねえちゃんを持つ妹さんなら、このPV、ものすごくぐっと来るものがあると思う。

しかも、お姉ちゃんが先に結婚式を挙げてて、自分がそのシーンをカメラに納める立場だった場合、そのときのことがシンクロして、大変なことになる。
やっぱ、女姉妹って、サイコー☆って。

話が脱線しましたが、とりあえず、時間がないので、このままアップしますが、いつものごとく、校正がすんでません。
ごめんなさい。

近いうちに直しにきますが、なんだか日本語がへんなところがあったとしても、お目こぼし下さい、ハイ。

最後に、コレ書きながら、久しぶりにフレンチのコースを食べに行きたかったのは、私です、ハイ。




Copyright © Miho Naruse All Rights Reserved. 1997-2011



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